納得いかない死?

先日は、カリンの一周忌でした。

ロンの一周忌の時には、あまりシクシクすることがなかったのですが、カリンのことはずっと引きずっています。いろんな想いがある中、一番強い思いは「納得いかない」ということでした。ある時、その思いに気づきました。

だんだん具合が悪くなっていったことに気づいてやれなかったこと。最後はかかりつけの病院ではなく、初めての病院だったのでこちらの要望を伝えきれなかったこと。など書き出せば色々ありますが、一番どんなことが納得いかないと思っているのか考えてみたら、カリンの死そのものに納得いかないとそう思っていました。

医療ミスとかそういうことではありません。その時にやるべき治療をしていただきました。

いつかは誰もが死せる運命なので、カリンも旅立ちを迎えることは分かっています。旅立つ2、3日前に、入院しているカリンの姿を家から感じてみたら、黄金の光に包まれていて、旅立ちが近いことも分かっていました。

それでも。だけど。その死が納得いかない。死が納得いかない?

そして気づきました。自分はなんて傲慢な考え方をしているんだと。思い上がっているんだと。「死」というものが私の許可なく実行されたことに対して、納得がいかないと思っていたんだと気づきました。

一部の「死」は人間がコントロールできるものかもしれません。でも、多くの「死」は誰かがコントロールするものでもなければ、許可するものでも、納得する次元のものでもありません。

それなのに、私は随分と思い上がっていたようです。

命の始まりも終わりも、崇高なものであり尊重されるものです。納得するもしないも、そういうレベルではない尊いものです。

動物家族の場合、その命をしばらくの間、預からせてもらってる身です。だからでしょうか。いつの間にか、その死すら、自分の管理下にあるように勘違いをしていたのかもしれません。

自分の思ったような旅立ちをさせられなかったこと。これはよくあることですし、あらゆる死の形は、思い通りにいかないことのほうが多いのではないでしょうか。

なのに、自分の思い通りにいくものと、私はそう思い上がっていたようです。バカですよね。本当に。

天からの預かりものを、ひとときお預かりして、また天へとお返しする。かぐや姫のようなものかもしれません。何とか必死で地上に留めておきたいと願っても、それは無理というものですよね。あの話は、異世界ものというよりも死の物語なのでしょうか。

少し脱線しましたが、いつの間にか、傲慢さを持っていた自分がただ情けなく恥ずかしいばかりです。でも、それもまた1つの勉強なのだと前向きに捉えることにしました。

生きている時、カリンはいろんなことを教えてくれました。いろんな方との出会いも、もたらしてくれました。その旅立ちの時も死んでからも、またいろんなことを考える機会をくれています。

そうやって、生きていくのでしょう。

まぁ、カリンのことが納得いかなかったので、デンデの場合は納得いくような形での旅立ちを迎えたことは、わたしの悪巧みです。

自分の思い上がった気持ちに気づき、今は穏やかになっています。な〜んて、言ってみたいのですがどうでしょう。それなりに重たいものが心には留まっています。

これを抱えながら生きていく。情けなく、恥ずかしい思いを抱えながら、あがきながら、生きていく。みっともないけれど、生きるってそういうところあるのだから。

ジタバタドタバタしながら、もがきあがいて、失敗して恥ずかしい思いをして、苦しんで泣いて、笑って楽しんで。そうやって生きていきましょうか。人生、ずっと勉強ですものね。おたがい、がんばりましょうね。

死んじゃっても、いろんなことを教えてくれるカリンに愛を込めて。

今日もまたお読みくださいまして、ありがとうございます。たくさんの愛と感謝を、あなたに。

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