『数えずの井戸』

昨日図書館に行って、
シリーズものの分厚い本を借りて、
予約してあった本を受け取りました。

目いっぱい本を借りたけれど、
これなら読めそうと思って、
思い出したのが、
予約してあった本の作者。

そうだ、
京極先生の本だった。

京極作品を読んだことのある方はご存じですが、
あの方の本は、
どれも分厚い。
電車で読むには、とっても不向きなくらい厚い。

その上、段組になっているものが多くて、
活字中毒の人間にはたまらない好物です。
これが高じてきてしまい、
薄めの本(=通常の厚さ)では、
物足りなくなってしまうと言う活字マニアになってしまいました。

京極作品は、大抵は購入するのですが、
広くもない家の本棚に収納できなくなってきているので、
借りることに。

それで読んだのが、相変わらず厚い『数えずの井戸』です。

有名な皿屋敷のお話、京極バージョン。
番町とも播州とも言われる皿屋敷ですが、
どうしてもおどろおどろしいイメージが先行してしまいがちでした。
物悲しいイメージもあるのですが。

どこか妖怪やこの世ならぬモノの仕業にしたいような、
そんな想いでした。

でも、
読了後、
なるほどなぁ、そういう見方もできるんだなと、納得。
怪しきモノの所為になどしないで、
ヒトの為した事として、
彼岸でなくて、こちら側の話として落としてくれました。

バラバラになっていた欠片が、
だんだんとある特定の形に収まっていく面白さに、
読書の醍醐味を感じながら、
それって、また別の視点から見たら、
生きていくことにも繋がっていくんだろうなとも思ったり。
一見したら意味のないことをしているのかもしれないけれど、
それがやがて最後の大団円に向けての重要な鍵かもしれない。
な〜んて、思ってみたりします。

それにしても、
《井戸》って、異界へのキーワードなんでしょうか。
そもそも《水辺》は異界との接点だったりしますよね。
また気になってきました。
今度は井戸について研究しようっと。

今日もまた、お読みいただきましてありがとうございます。

不思議なことにワクワクしながら、
たくさんの愛と感謝を込めて〜