いろんな痛みを前にして

心の家「パワーホーム」はどんな感じでしょうか。

さて今日は、先日の記事の終わりに書いたことについて、もうちょっと詳しく。

生きていくのは、つらいこともあります。
苦しいこともあります。
大きな痛みの前に、
パーソナルな小さな痛みなんて言ってられないと、
思うこともあるかもしれません。
でも、痛みの大小なんて関係ない。
痛いもんは痛い。

『痛み』というものも、大きさを比べて、上下を判断してしまうことがあります。

小さく見える痛みに対しては、

「そんな痛み、私の痛みに比べたら、大したことじゃないよ。」
「それくらいなら、我慢してもいいんじゃない?」
「だって、私のほうが痛いんだもん。」
「あなたの痛みなんて、痛みに入らないんだから辛抱するのが当然だよ」

と、言葉を投げかけられることもあります。

【今】がそのタイミングの時でもあります。

「みんなが我慢しているんだよ。みんなが苦しんでいるんだよ。なのに、あなた方は、自分たちが苦しいって言うの?それ、今、言う?」というように。

大きな痛みの前に、小さく見える痛みを「痛い」と言うことは「良くないこと」だとされてしまう。

どんな痛みでも痛いことには変わりがないのです。靴の中に入った、とても小さな石でも痛いように。

痛みの大きさはあるでしょう。だけど、痛いことには変わらないし「痛い」と言うことに対して、目くじら立てたり、糾弾したり、嘲り罵ることは違うのではないかと思います。

今、それぞれが人としての器が試される時なのでしょう。

どんな痛みでも痛みだと理解して「痛いよね」と心を寄せられる人であるのか。さらに痛みを加える人になるのか。

誰かの痛みをどれくらい痛いのか、それを完全に理解することはできないでしょう。痛みは、とてもパーソナルなものですから。

でも、「痛みがある」ことと「痛い」ことは理解することができます。「痛いよね」と理解を示すことは出来ます。出来ることだってあるのです。

「そんなの痛いなんて言えない」「今、そんなこと言ってるあなたよりも、ずっと痛い人はいっぱいいるんだから、痛いなんて言うのは甘えだ、ワガママだ、欲張りだ」と言うよりも、思いやりを示すことは出来るのです。

それが出来るのかどうか、試されている【時】なのでしょう。

なんだか偉そうなことを書いていますが、わたしもまた、誰かの痛みに対して、大したもんじゃないと思って、そう言ってしまったことなんて何度もあります。きっと、これからだって、そういうことあるでしょう。

自省も込めて考えています。

思いやり。
誰かの気持ちを慮る。
共感する。
こういうものが持てるのか。出来るのか。

他のいろんな人の行いや言動を見て、自分自身はどうなのか。
今この時代、どう生きていくのか。どうありたいのか。

それを問われ、試されている時なんでしょうね。

あなたなら、どうされますか?

いろいろな痛みが、少しでも和らいでいくことを祈ります。

今日もまたお読みくださいまして、ありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を、あなたに。

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