
今日は「正しさ」「正義」について少し書いていこうと思っています。
フィクションに出てくる「正義の味方」は、
勧善懲悪で爽快感あります。
私も嫌いじゃないです。
でも、
現実はそう簡単に割り切れるものではありません。
何が正しくて、何が悪なのか、間違っているのか。
これは、その時々の社会で異なる場合だってあります。
そして、とても厄介なのは、
「正しさ」で視界が狭くなることがあることです。
「正しさ」を追究するあまり囚われてしまい、
「正しい」「正しくない」という二択で物事を判断する場合もあるのです。
世界も物事も生き物も様々な面を持っています。
あなたも私も一言では表せない色んな顔を持っています。
だから、
「これ」と「これじゃない」という2つだけで判断をしてしまうと、
見誤ることがあるのです。
先ほども言いましたが、
「正しさ」には厄介さがつきまといます。
人は強くもあれば弱くもあるので、
「正しい」に縋る人だっています。
「正しい自分」を生きるよすがにする人だっているのです。
自分は正しい。
自分は人として正しいことをしている。
自分は間違ってなどいない。
そうしないと、
自分でいられないと思い込んでしまうこともあるのです。
真の強い信念の上に成り立った「正しさ」と、
もろさを隠すために必死で縋っている「正しさ」があるのです。
どちらがいいとか悪いじゃなくて、
いろんな「正しさ」があるのです。
そして「正しさ」の厄介な面としては、
『正しさの押し付け』かなと思っています。
「これは正しいんだから、こうすべきだ」
「私たちが正しいから、従って!それ以外はみんな敵」
などと声高に強要しようとする点です。
「正しさ」に縋ってしまっていると、
それがすべてなので、
物の見方が狭くなっていきます。
1つのものに囚われてしまえば、
どうしても世界を見つめる目は狭くなってしまうし、
多方向から観ることも出来なくなります。
縋るしかない生き方もあるでしょう。
でもそれが思い込みだと、
本来の自分の心の有り様ではないと、
気づいていけたら、
もっとラクに生きていけるのではないかな。
人にも自分にも、
無理矢理、思考を押し付けなくても、
私たちは、
もっと自由に感じて、考えて、歩いていくことが出来るのだから。
そう私は思っています。
世界の色は1つじゃないのだから。
今日もまたお読みくださいましてありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。
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