グレーな部分

先回の「正しさ」について書き忘れていた部分もあるので、
今日はそのあたりを。

「正しさ」は、
その時々の社会で異なる場合があると先回書きました。

「正しさ」って不確定なもので流動的なものです。

時代でも住んでいる社会でも変わるものだし、
個人で言えば、もっと短いスパンで、
「今はこれが正しい(と思っている)」というように、
その時々でも変わります。

それくらい不確定なものです。

だから何かを判断する時に、
「正しい」「正しくない」で決めてしまうと、
なんだか違うということもあるのです。

これは「正しさ」だけのことではないです。

「これ」と「あれ」
「いい」と「悪い」など、
この世の中のことを、
なんでも2つに分けて考えることは難しいです。

なんでも白黒つけないとスッキリしないのなら、
生きていくこともきつい事が多いのではないでしょうか。

なぜなら、
グレーの部分がたくさんあるのが世の中だから。

このブログを読んでくださっている方は、
おそらく大人ではないかと思っています。

大人って狡い部分も持っているけれど、
子どもの頑なな潔癖さから、
解放されている部分もあるのですよね。

「あんなこと絶対に許せない」
「不潔!」
って思ってしまう子供時代は、
物事の一面ばかりしか分からなかったりします。
理解力や洞察力、
人生経験が少なければ当然です。
子供は学んで成長をしていくものだから。

やがて、様々な経験をして、
物事が表面だけのものではなく、
多様な面を持つことに気づいていく、
本当の意味での大人になっていきます。

「あんなこと絶対に許せない」と思っていたのが、
「確かに許せない所業のようだけど、
ああするしかなかったという部分もあるのだろうな」と、
別の面からの見方も出来るのです。

白黒きっちりと付けられないことは、
落ち着かないことだけれど、
それでも、この世の中には、
割り切れないグレーの部分がある。
曖昧模糊としたものがたくさんある。

グレーの部分ってスッキリしないし、
どことなく苦さすら感じるものです。

グレーを知ることは、
スッキリしなくて苦みもある感覚を受け容れて、
寄り添いも無視するわけでもないけれど、
ただそこに在るものだということだけ知っている、
そういうことなのじゃないかと思っています。

なんとも歯切れの悪い文章ですね。
でも、これがグレーの部分。

なんでもかんでもスッキリと割り切れない座りが悪いもの。
そういうものが存在していても、いいじゃありませんか。

極端に思考や感情が走っていく時、
ふと、思い出してみてくださいね。

どちらでもあり、
どちらでもない、
グレーという部分があるってことを。

グレーな部分があっていいんだと言うことを。

今日もまたお読みくださいましてありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。

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