
こちらでは、そろそろ桜の絨毯の頃となってきました。
あなたの所はいかがでしょう。
今年は家族の死去が続いていたので、
ムテンのお散歩の時に桜を見ても、
一緒に歩いたことを思い出したりして、
半泣きになりながら歩いてました。
後は、
「あなたが——蜘蛛だったのですね」という1文を、
ひたすら思い浮かべていました。
(京極夏彦『絡新婦の理』から)
どうしても、
愛する者(←人も動物も)が旅立っていくと、
その悲しさは、
なかなか消え去るものではありませんね。
悲しみの中を漂ってしまうことだってあります。
時間が少しずつ、心を癒していくのだけど、
それでも、つらい時期はあるでしょう。
そんなお心に、
届いていくといいなと思っていることがあります。
出逢いって奇跡的なことなのです。
出逢えたことの喜びを抱いてほしいのです。
深い悲しみの中であったとしても。
ちょっと想像してみてください。
たとえば、少しだけ時間がずれていたなら、
あなたとあなたの愛する方は、
出逢っていなかったかもしれません。
宇宙の時間軸を考えると、
私たちの『少し』は、
随分と大きなものの場合もあります。
1日2日という時間よりも、
1世代、1世紀くらい変わることもあります。
また少しだけ場所がずれていたなら、
あなたとあなたの愛する方は、
出逢えていなかったかもしれません。
出逢いは必然だったかもしれない。
だけど、
それを求めないという選択をすることだって出来る。
あらゆる要素が合わさって、
出逢うことができたこと。
巡り逢うことができたこと。
それはやっぱり、
奇跡と呼べるような喜びだと思うのです。
そんな奇跡を手にしたのです。
愛する方と出会ったことは。
永遠に生きるわけではないので、
どちらかが先に逝ってしまうことは、
避けられないことです。
それはとても苦しく悲しいものですが、
出逢うことができたこと。
時間の長短はあったとしても、
ともに過ごす時間を持てたこと。
愛しく掛けがえのない日々を体験したこと。
これらは、
死別によって消え去っていくものではないのです。
心の中に大切に存在しています。
愛は無に帰するものではないのです。
いなくなってしまった悲しさの中、
少しだけでも思い出してみてください。
出逢えたことが、
とてつもない喜びであったことを。
亡くなった大切な方のことを書きましたが、
これは生きている方についてだって同じことです。
出逢いって、
本当に素敵な喜びをもたらしてくれるものです。
どうぞ、お心に届いていきますように。
今日もまたお読みくださいまして、
ありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。
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