大好きな人へ愛を

今、癌で闘病中の友がいます。

日々、想像もできないような痛みや苦しみの中で、
傷つき暮らしている。

彼女に何もしてあげることができなくて、
ただ祈るしかなくて、
それが歯がゆくて情けなくて。

そんな時に思い出すのが、
ダライ・ラマ法王の本の一節。

以前に、こちらで書いていますが、
再度、載せます。

600万人のチベット人が、みなダライ・ラマを見ています。
そしてダライ・ラマが苦しみから救ってくれると信じています。
私には、そのうちのただ一人を救うための、
米粒ほどの力もありません。
その無力さを噛みしめながら、毎日生きること。
それが、私の修行です。

(『優しい人になろう』より)

法王さまに比べたら、ちっぽけなものだけど、
法王さまと同じように、
ただ一人を救うための力は自分にはない。

生き仏と言われるダライ・ラマ法王さまですら、
ミラクルな力をお持ちでないのなら、
ただの庶民の私に、ミラクルな力がなくて当たり前。

卑下するわけじゃなくて、
それを苦い思いを感じながら噛みしめて、
ただ、自分に出来ることを、日々、行っていくだけ。
それが、
今、生きている人生の修行なのでしょうね。

ちょくちょく書いていますが、
誰か、大切な方が苦しみの中でいる時、
〈心配〉するのは当然ですが、
その〈心配〉は1つのエネルギーなので、
相手に届きます。

そんなもの届いて欲しくはないエネルギーだから、
〈心配〉はひとまず置いておいて、
〈愛〉を贈りましょう。

弱気になったり、落ち込んだり、
めげたり、絶望の淵に立っていたり、
本当に、
いてもたってもいられないピンチな状況だけど、
代わって生きてあげることなどできやしない。

だから、それが情けなくて悲しいけれど、
それでも、ただひたすら〈愛〉だけを贈りましょう。

尽きることのない、
あふれ出す愛を贈って、
その方の心の奥底で休んでいる、
〈強さ〉が力を得ていけるように、
ひたすら〈愛〉を贈りましょう。

そう信じて、ただ祈り続ける。

それしかできない無力さに打ちのめされながら、
神じゃなくて、ただの人なんだから、
そういう時、誰もが歯がゆく想っているんだから、
それもひっくるめて〈愛〉に変換して、
贈り続けましょ。

やるせない想い、情けない想い、
心配でたまらない想い、
それら全部を〈愛〉に変換させて、
送り届けていきましょ。

大好きだから〈愛〉を贈りましょ。

あの人の中に眠っている、
〈強さ〉や〈力〉〈気力〉が湧き上がって支えてくれるように。

ひたすら願いを込めて。

今日もまたお読みくださってありがとうございます。
あなたにいっぱいの愛を☆