
今日は『動物の愛』について書いていきます。
動物たちの愛とはどんなものだと思われますか?
私は、動物たちの愛はとても素朴なもののように思っています。人で言うなら、幼子たちが抱いているようなものでしょうか。これも一概に言えるものではなく、親のように、師のように、見守っている愛もあります。
素朴と書きましたが、まっすぐな愛だと思うのです。愛の本来の姿というか、飾りも何もない純粋な愛というのでしょうか。そんな気がするのです。
何の条件もなくただ一心に。「ただ愛する」のです。
日々、大切にされ、大好きだと言われ、愛されている動物なら、人と同じように、むしろそれ以上に人を愛しているでしょう。
でも、日々、虐待されていたり、その逆にまるっきり構われていなくても、雑に扱われていても、それでもただ愛を捧げています。心を病んでしまうこともあっても、どんな相手でも無条件に愛することを選択する。誰に言われたわけでもなくて。
愛されたくて愛しているわけじゃない。何かがほしくて愛しているわけでもない。「ただ愛する」と言うことをしているだけ。
たとえ愛されなくても。
このような無条件の愛を、人は体現できているでしょうか?出来る方もいるでしょうが、なかなか難しいのではないでしょうか。
だから、彼ら動物たちがいる。
どんな状況でもただ愛することはどんなことなのかを、その生涯を持って教えてくれるのかもしれません。
そしてまた、どんな生き方や行動をしていても、無条件に愛されることによって、誰もが本来、愛される存在であることを教えてくれていると思うのです。命をかけて、教えてくれていると思うのです。
アニマル・コミュニケーションでは亡くなった動物たちとも話すことが多いです。魂となった動物の愛は生きている時とは違うように感じています。
見守る存在に変わるからか、幼子の愛から大人っぽくなり、包み込むような大きな愛へと変わっていく感じがします。
魂の存在に戻っていくと、「寄り添う愛」から「見守る愛」へと変化するのかもしれません。
ここでは、動物と人との間の愛について書きましたが、動物同士や異なる種類の動物同士でも愛による繋がりはあります。
そして、動物の愛と書いてはいますが、愛にはそんな区別など必要ないのですよね。便宜上書いていますが、ただそこに愛があるというだけのことだったりします。
続きで書いてきましたが、次回、私なりのアニマル・コミュニケーションについての想いで、おしまいとなる予定です。
今日もまたお読みくださいましてありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。
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