「旅立ち」の話 つづきのつづき

先日から「旅立ち」「死」のこと、
そして「生きる」ことを書いています。

「生きて」「生きろ」
などという声が彼方から届けられることがあります。

声と言うよりも想いですね。
とても強い想いです。
それを何とか届けたくて、
出来る範囲ではあるけれど、こうして書いています。

死ぬは生きる。
生きるは死ぬ。
死を真摯に考えることは、生を真摯に考えること。

死の話を通じて、
「生きる」ことがさらに豊かになっていけばいいなと、
そう願っています。

では、先回からの続きです。
あなたに質問です。

死はすべての終わりだと思われますか?
自分を残して旅立っていってしまった。
何もかも終わってしまったと思われますか?

死を迎えると、肉体の機能は停止します。
体の死ですね。

通常、私たち人間は、
触れ合ったり、言葉を交わしたり、見つめ合ったり、
匂いを嗅ぐこともあります(動物ほどではありませんが)。

死んでしまうと、これが出来なくなってしまいます。
だから、悲しい。とっても。
もう二度と触ることも、会話をすることも、
笑顔を見ることも、何もかも出来なくなってしまうから。
そこに、いないから。

でももしも生きていると同じ状態で、
死んだ後も見ることも聞くことも触れることも出来たのなら、
私たちは死に気づくことが出来るのでしょうか。

いつまでもずっと同じなら、
別れのつらさを理解できるでしょうか。
死別の苦痛を知らずして、
引き裂かれるような痛みを理解できるでしょうか。

では、死んでしまったなら、
もう姿形も声も何もない状態なのか。
体を失ったことで、もう何もない「終わり」の状態なのか。

ここら辺の説明が難しいのですが、
次元の異なる世界に、
死んでから存在しているのではないかということです。

今の私たちからは、
死んでいる方々を、
見たり、触ったりすることは出来ませんが、
同じ次元では触れたり見えたりします。

生きている者の観念から外れた、
それ以外の観念が存在しているということです。

分かりにくいですね。

ただ、
「分かりにくい」と言うことがポイントだったりします。

生者の知識や観念が及ばない世界。
もちろん認識している者たちはいるでしょうが、
大半の方達には分からない世界。
そういう世界があるかもしれないということ。

死んだらすべて無くなってしまうのではなく、
次元の異なる世界へと移動していくということなのです。
お引っ越しというほうが近いかな。

肉体の死を迎えても、
「はい!おしまい!」ってわけではないようです。

肉体は生きている時の入れ物なのでしょう。
死ぬと脱いで、本質(魂)に戻るということでしょう。

おしまいではないと言うことが伝わったかしら?

今回は、
謎めいて分かりにくい内容だったかもしれません。

ただ、
こういうこともあるかもしれない。ないかもしれない。
まぁ、そんなものかなという、
話半分でお読みいただければそれで充分です。

もうちょっと続きますね。
次は「つづきのつづきのつづき」にしてもいいかしら。
バカボンのパパみたいで楽しいでしょ。

とは言っても、
次回月曜日は満月(スーパームーン)ですので、
月の癒しのご案内となりますから、
続きはまたそのあとで。

今日もまたお読みくださいましてありがとうございます。
たくさんの愛と感謝を。

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