それは〈正直〉じゃない 後編

昨夜は、綺麗なお月様が見られましたか?
満月の癒しを受け取っていただいた方、
どうもありがとうございました。
ハートがどんどんと輝いていきますように。

さて、
1つ前の9/8の記事(それは〈正直〉じゃない)で、
分かりにくいところがあったので、
今日はその続きを書きます。

感情を表現することに問題があるわけではありません。

ただ、
いついかなる時も、どんな場でも、習慣的に、
激しい感情もむき出しにすることを、
「正直」だと思っている方がたまにいるので、
それはちょっと違うと思い、先日の記事を書きました。

やむにやまれぬ事情で、
激しい感情を抑えきれないことはあります。

それを後から、恥ずかしいとか、情けないとか、
申し訳ないとか感じるならば大丈夫です。

だけど、周りが気分を悪くしても、怖い思いをしても、
「感情を表すことが『正直』なのだから、何が悪い?」
と思う場合、違うのじゃないかと思っています。

そばにいる人は、
愚痴を聞くために存在しているわけではありません。
それは思い上がりもいいところです。

自分に正直というのは、
感情を誰にでもぶつけ回ることとは違います。
そんなことをみんながしていたら、
この世はひどいものになります。

自分の感情は自分の感情。
それについて正直になるのは問題ではありません。
でも、
喜びや幸福感とは真逆の激しい感情を、
他人にシェアしようというのは愛のないことです。

自分が感じるように、
他人もまた感じる気持ちを持っています。

親子で言うと分かりやすいのですが、
激しすぎる感情を子供にぶつけまくったら、
子供はどうなるでしょう。

親の顔色が気になって、
いつもビクビクして、
精神的に落ち着かない状況で、
成長をしていくこともあるでしょう。

親だって人の子ですから、
時に感情が爆発してしまうこともあるでしょう。
だけど、親だからと言って、
子供の心を破壊する権利はありません。

これは極端な例ですが、そういうことなんです。

正直であることはいいことかもしれませんが、
感情のままに生きると言うことと同じではないのです。

感情に折り合いを付けられない時は、
相手が専門家では無い場合は、
《短時間》だけ感情を吐き出して、
最後に必ず「ありがとう」と伝えてください。

自分に正直であろうとするのは大切なことです。
だけど、その言葉に固執して、
何が何でも正直にという思い込みから、
抜け出していけたらいいですね。

自分の感情は、
他人が負うべきものではないと気づいていけば、
理解してくれないなどと不機嫌になる必要もなくなるし、
不快感も増えません。

不快なものに拘って、増やしているのは、
実は自分自身なんだと気づいていけば、
やがてその感情から解放されていきます。

解放されていけば、
心はまた本来の穏やかなものに戻っていくでしょう。

憎しみ、恨み、怒り、恐れなどが支配する世界ではなく、
愛であふれた世界、
それはとても心地よく安心できるものじゃないかと、
私は思っています。

幼稚な正直さから成長して、
大人としての正直さという賢さを身につけて、
歩いていきましょう。

今日もまたお読みくださってありがとうございます。
たくさんの愛を。